いつも通りの土曜日。今朝はマイナス3度で車も凍っていた。長い長い長い長い冬が来つつあるのである。
ジムの後にラボに寄りランチを食べて買い物をして帰宅。
今日はこの後はラボにはいかず久しぶりにオフにすることにした。自分のアプリケーションや子供のアプリケーションや子供の学費や今のプロジェクトや溜まっている仕事や老後のことや色々なことが頭の中をグルグル回っていて少し限界に近付きつつあると思うので。
アメリカで生活する、子育てを終わらせる、研究を続ける、ということを10年間毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ的に考えてきて、特にここ数年は年休数日で過ごしてきて、かなり精神的にきつくなりつつある。
精神的にきつくなりつつあっても誰かに相談できるわけではない。アメリカでシングルファーザーで研究者という立場は自分以外にはいないので、アドバイスを求める相手がいないのである。したがって、なるべく客観的に論理的に現状を打開する術を自分自身で見つけないといけない。
おそらくアメリカ生活も子育てもここまでくると後はどうにかなりそうで、問題はやはり自分の研究生活をどうするか、だ。このままズルズルとリサーチポジションで大学にいることが自分にとって良いのかどうか。
今後どうしたら良いのか分からなくなった場合、私はいつも10年後にどうしていたいのかを想像してそれをゴールにして、そこから逆算して年毎のスケジュールを立て、さらに今後12か月間のスケジュールを組む。そして週ごとのタスクに落として、それを毎日こなしていくようにしている。まあ、出来上がったスケジュールが上手くいったためしはなくて、数年ごとに決めなおしているのだけれど。それでも、こうやって自分でプログラムを組んでそれを淡々とこなしていくようにしておけば、少なくとも最低限の結果は得られる。アメリカで一人親で経済的に不安定で誰からのヘルプもなくそれでもなんとかここまで来られたのだから、それなりにこの手段は機能するのではないか。
10年後、娘はアラサーになっており、もしかしたら結婚して子供がいるかもしれない。つまり孫ができるわけだ。ならば、家族として過ごせるような状態でいたいと思う。つまりワンルームのアパートで今みたいな学生のような貧乏暮らしをしているのではなくて、それなりのスペースのある家で、娘家族を迎えたい。美味い飯もごちそうしたいし。
10年後、親はまだ元気でいてくれて、年末に私と娘(そして、その子供、や旦那)の一時帰国で挨拶に行ければ喜んでくれるだろう(たぶん)。
10年後、今よりももっと知識を身に着けておきたい。ヨーロッパの歴史を勉強して第三言語もマスターしておきたい。
10年後、健康でいたい。今よりも長い距離をジムで走って、今よりも思いダンベルで筋トレできるような体を手に入れておきたい。
10年後、独りでいたくはない。新しいパートナーが必要である。
10年後、テニュアを取って学会の中で注目されてセミナーに呼ばれてという具合にステイタスを得ていたい、とは思わないのである。もちろん研究が評価されていれば嬉しいけれど、ステイタスはとても面倒なものだと思うので、大学や学内での地位はあまり欲していない。それよりも10年後に自分の手で実験して論文を書ければ嬉しい。そして、そういう状況を手に入れるために上記の「10年後の夢」を放棄しても良いのか言えばそうではない。
私がイマイチブレイクできない理由はこういうところにあるのだろうな。学内のポジションを得るには地位に対する強い欲が必要で、「あとはー、歴史とか語学の勉強もしたいしー、家族とも仲良くしたいしー、体もスリムでいたいわけ、それで学生と一緒にベンチワークもしたいし」みたいな甘いことを言っていたら出世競争には勝てません。
私は自分の手で実験をするファカルティになりたくて、だから今は、教育と研究の両方に力を入れている学部でジョブを得たいと思っている。非医学部系で学生研究に力をいれているような場所である。自然、マンパワーは学部生とマスター学生になる。ラボの規模も、PIプラス学生3程度だろう。授業も週に2つ、つまり1時間かける4を受け持たなければいけない。NIHは無理でNSFをとれるかどうか。学内や州内の小規模グラントでラボを回す形だ。それでも、やりかた次第ではIF5くらいの論文を年に2つは出せると思うのである。まあ、この業績では学会内のスターにはなれませんが。が、少なくとも、このペースで20年くらいは研究ができるであろう。
で、私が調べた範囲では、こういう学部にアプライするのに必要な業績を私はもうすでに十分持っていて、ということは、このクラスを狙ってどこからもインタビューに呼ばれなければ、それは研究業績が問題ではなくて、別のこと、例えば私が日本で学位を取得している(から、アメリカでの教育経験がすくない)とか、年齢が行き過ぎているとか、どうしようもないことが原因で、つまりは、将来的に採用されることは無いだろう。
と考えると、やはり来年夏までがファカルティを狙うタイムリミットであり、そこから先は企業への転職を考えたほうが良いだろう。リサーチファカルティの不安定な状態で「娘家族を迎える家」とか「歴史や語学の勉強」とか「新しいパートナー」とか「年末の一時帰国」なんて実現できないだろうし。
それと共に、仕事は複数あったほうがやりがいが維持できるのではないかと思っている。1大学でもバイオ企業でも分野違いの企業でも、これらは誰かに雇ってもらっているわけで、つまり何が原因でレイオフされるかわからない。自分の力で金を稼ぐ術を身に着けておかないとヤヴァイかも、と思うのである。
私は仕事が好きなので、死ぬまで働いていたいけれど、死ぬまで誰かに雇われていたいとは思わない。組織に属していれば収入は安定するけれど人間関係は常にまとわりつく。もし大学に残れるならば75歳くらいまで研究を続けたい。企業ならば70歳まで(年金受給が始まるまで)働かないといけない。いずれにしろそれ以降も仕事は続けたくて、つまり、それ以降にも金を稼げるようなスキルを身に着けておかないと。可能ならば、自分で小さなオフィスなり会社なりを立ち上げて、ビジネスとして成立させておきたい。70歳でそれなりの副業があるということは、それ以前の60歳くらいまでにはその副業は軌道に乗っている必要があり、つまり50歳くらいには試行錯誤を始めないといけない、つまり「いつ始めるの?、今でしょ」である。
ということは、文章で金を稼ぐことについて具体的に動き出す時期なのだな。こうやって誤字脱字多くても愚痴や文句のオンパレードでも毎日ブログを書き続けているのは、この試行錯誤の一端で、書くことで仕事ができないかと模索しているのである。ブログで稼ぐための本やらサイトを勉強したりして。
夏までに大学でジョブが見つからなければ、もう可能性はないと判断するべきだろう。その場合、夏の間に企業用のレジュメを作成してリクルーターにコンタクトを取り、転職を始めなければいけない(これは「なければいけない」ことであり「したほうが良い」ことではない)。企業へ転職するならば、ボストンやシリコンバレーではないと意味がない。ビジネス英語の勉強を始める。エクササイズは常に続ける。ブログの充実化を図り、そこからどうにか発展させていく。
こうやって考えると、ファカルティ職を得るためにできることはもうそれほどなく、今のアプリケーションを淡々と出していくだけである。
ファカルティになれなかった場合、あるいは超有名大学でポストを得られなかった場合、オレは負けたことになるのだろうか。それなりの研究をして論文もソコソコ出して、それでも「負けた」ことになるのだろうか。研究者にとって「負け」とはなにか。それはおそらくたいした発見ができなかった、ということだろう。では「大した発見」とは何か。それはおそらく人類の歴史に関わるような科学的な知見を見出したということであろう。そういう意味では私は重要なことを見つけたと思っているけれど、それは歴史が明らかにしてくれるだろう。まあ、いずれにしろ出征競争では負けたことは事実であり、でも私が科学を楽しんで20年過ごしたことも事実である。つまり、それほど悪い時間ではなかったということか。
10年後、笑いながら娘のあるいは孫の顔を見られるように明日からまた頑張ろう。95歳まで生きるつもりの私にはまだ50年も時間がある。
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