ツイッターを見ていると、皆、定時にはなかなか帰れず残業で終電になることもあり、有休も消化できず、意味がないと思われる会議には参加しなければならない、等々の現実を皮肉を込めてつぶやいていたりして、つまりそれが当たり前の現実なのだ。今の仕事環境で文句を言ってるバアイではないよなぁ、と思ったりもする。お金を稼ぐことは大変で、しかもやりたいことでお金を稼げることは稀なのだろうな。が、中西部の田舎街でだーれとも交流を持たず(持てず)ただただ毎日を必死でこなしていると「スタンダード」が分からなくなり、自分が独り漂流している感じがしてくるのである。
私の場合、子供が家を出ればまたシングルに戻るわけで、また仕事も任期付きなので、今と同じような状態がこれからも続くわけではない。結婚して家庭を持ち、住処を見つけて定職に就き、そこに根を生やして家族を増やしていき、共に人生を歩む、というフツーの人たちは大きく違う。来年の今どうなっているのか良く分からない。子供の頃に思い描いた人生とは随分と違い、でも、頑張って来た結果が今なのだから、これが自分が望んだ生き方で、自分という人間を反映した人生なのだろう。つまり、根無し草ということだ。漂流するのも当たり前か。
などという生き方もこれからして、老後がどんどんと間近に迫って来た時にどうするのか。そういうことを真剣に考えないといけない。50年近く生きてきて分かったことは、自分は変わらない、ということである。残念ながら変わらないのか、変わらない自分を誇らしく思うべきなのか。ため息をつきながら生きて死にたくないので、変わらない自分を肯定的に思うようにしよう。
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