2017年3月17日金曜日

ブログ

昨日の続き。

私が住んでいるエリアは、なーんにもない田舎街で、ただただ広く、そのため、テレビの電波がなかなか届きません。で、結果、ほとんどの家庭がケーブルテレビを利用しており、ネットとケーブルで合わせて100ドルくらいが相場(高い)。

ケーブルのチャンネルは100以上もあり、探せばそれなりに楽しめる番組が見つかる。モノクロ映画の専門チャンネルもあり、たまーに見ます。常に映画が流れているので、テレビをつけて、やっているヤツをなんとなく見るという感じ。中にはツイツイ最後まで見てしまうのもあり、ネットで調べると名画だったりして、すぐれた作品は年数によらずに見ごたえがあることを実感します。

1930年代の映画が多く、映画の中で3歳の子供は今はもう90歳近くです。そして、その映画に携わったほとんどの人がすでに亡くなっているのに気づくと、なんか不思議な気持ちになる。80年前のアメリカで作成された映画ですが、まるで別の世界で作られた作品を見ているような感じ。

さて。

今日、セミナーがあり参加しました。参加者の多くは学生で、私より年上はファカルティ連中で、参加者の30%くらいか。で、フト考えて、これから30年もすると、私は80歳近くで、今のファカルティ連中の多くは亡くなっている、代わりに、まだ分子レベルですら存在していない人たちが研究者としてこの教室にいるのだな、と。つまりここにいる三分の一の人間が入れ替わる。世界は常に変化していて同じであることは絶対にないということだ。

30年後の世界は30%程度変わっていて、80年後は別世界になっている。我々を取り巻いている(外)世界は不安定で確たるものではないのではないか、そして、常に変化している世界で唯一変わらないのは「私」だけなのではないか、と思うのです。人生の中で唯一確実なものは「私」だけなのではないか。だから、幸せな人生を送りたいのならば、その指針は不確定な(外)世界に求めるのではなくて「私」自身に求めるべきなのではないか、と考えています。

ところで。

私は俗物なので、職場の人間付き合いが面倒で中にはムカつく野郎もいたりする。あいつの態度には耐えられねぇよ的な、できれば接したくない人たちがチラホラいる。さらには、コイツ失敗しねぇかな調子こきやがって、と思ってしまうくらいムカつくヤツもいる。で、こういうムカつくヤツに限ってこちらを利用しようとしたり自慢をしてきたりするので困ったものです(まあ、だからムカつくのですが)。私は、こういうやつらが私の前に来てエラそうなことを言い始めたら面と向かって「お前、ムカつくんだよ」と言うことにしています、というのは嘘で、「へー」とか言って適当に話を合わせて話を切り上げて、以後は避けるようにしている。こういうやつらのために自分のエネルギーを使うのがもったいないから。(外)世界に私の時間を左右されたくないから。

もちろん、あえてムカつくやつのところに行き、そいつのことをイチイチ調べたり、変なトリックを仕掛けたりしたりはしない。そんなヤツのために自分の貴重な時間とエネルギーを使うのはもったいないでしょ。そんなことをして誰かの足を引っ張ったりしても自分は幸せになれない。そういう奴らは自分の世界から遠ざけておけばいいし、それしか解決方法はない。

このブログ、自分が思ったことを書きなぐっているだけです。当たり前のことですが、このブログの内容に共感してくれる人もいるし嫌悪感を抱く人もいる。共感してくれる人には「読んでくれてありがとうございます(ました)」、嫌悪感を抱く人には「変な期待をさせてスイマセン。でも私は私で頑張って生きているので、おそらくお互いもう近づかないほうが良いでしょう。縁があればまた」と言いたいです。

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