2016年10月31日月曜日

アメリカの大学受験ーナショナルポートフォリオデイ

私の娘は高校卒業後にアートスクールに行くつもりで、アートスクールに行くには作品集(ポートフォリオ)を提出して審査を受けなければならない。アメリカの大学は入学試験一発勝負ではなくて、

1.高校の成績(GPA)
2.共通テスト(SATあるいはACT)
3.入学動機を期したエッセイ(私は凄いアピール。課外活動やクラブ活動やボランティア経験や賞やなんやらを書く。ので、この手の点数稼ぎをどのくらいするかはかなり重要)
4.推薦状。
そして、
5.アートやフィルムや音楽系だと、作品の提出。

となる。

ポートフォリオは撮影してメールで先方の大学へ送ることもできるけれど、多くの場合、大学教員が直に審査することを望む。つまり、出願大学へもっていかなければいけない。
が、フツーの家庭だとあっちのアートスクールこっちのアートスクールに小旅行を兼ねていくわけにはいかず、そのため有名どころのアート系大学はキャラバンをつくって各州を回りポートフォリオの出張審査を行う。これがナショナルポートフォリオデイで、我々が住む州は本日がそれで、そのためわざわざロボコップとエミネムで有名なD市へ行ってきた。

相変わらず8マイルのテーマ曲がかかりロボコップが徘徊していて荒廃しているD市であったが、ようやく再開発が始まり、空き地と空き地と空き地と空き地と空き地と窓が全て割られた廃墟ビルが目立ったけれど一方で新しい建物もチラホラ見かけられて、しかしながら相変わらず人も車も見かけなかった。ヘイ、ヨー、マーン。

娘は某大学を志望しており、そこのブースに最初に行った。1時間前から並び、開始時には長蛇の列ができていた。対応してくれたの某学部のファカルティで、ネガティブなことは言われずエンカレッジされたようであった。一応好意的なコメントももらい、ポートフォリオ的には合格点をもらえたようであった。

次に、某有名アート系大学のブースに移動。こちらも列ができており、30分ほど待たされる。で、対応したのは学生で、なんとなくこの大学のやる気のなさを感じられた。有名系なので積極的に学生を集める必要がないのであろう。作品を広げるテーブルには飲みかけのコーヒーが置かれており、いかにもアメリカンクオリティで、つまり作品に対する敬意はまったく感じられなかった。面倒そうに娘の学生を見る馬鹿学生は、面倒そうにコメントをするのであった。ユーノーワット?とか言いながら。娘は、なるべくアピールしようと作品を出すのであるが、それらをチラッと見て、「ほかに質問は?」と言ってくる馬鹿学生。この馬鹿学生の横では別の馬鹿学生が「どういうクラスがあるかって?アイドンノウ」と質問に答えていて、この大学のレベルの低さがうかがい知れるのであった。こちらもテンションがさがり、そうそうに退散。この馬鹿大学には出願しないことになった。

自分の娘が頑張って作ったものを、肯定的であろうと否定的であろうと評価をされず、「どうせ見る必要もない」という扱いを受けているのを見ていると、もちろん気分が良くない。が、努力というものは多くの場合こういう扱いを受けるのが現実であろう。そして気づくのは、そういう努力が無駄ではないということを示すのは家族とか親友の役割なんだろうな。「社会が認めなくてもオレが認める」と言ってくれる人が世界に1人でもいてくれれば我々は常に挑戦し続けることができる。と、わざわざゴシックにしたけれど、まあ、そう思った。まあ、問題はそういう応援団はなかなかいないということだけれど。


0 件のコメント:

コメントを投稿