編集作業をしていたらフォントの表示がおかしくなったので以下に再録。と思ったら、やはり表示がおかしいな。面倒なので、このままにしておきます。。。
人にはそれぞれ事情があり、自分にとって大事な仕事は他の人にとってどうでも良かったりする。特に研究者のような個人プレーの仕事だと、例えばある人が出したデータがその人物がプロジェクト途中でラボを去った後には放置されてそのまま忘れられてしまう、なんてことは良くある話である。今抱えてる仕事はそういう形で適当に終わらせたくないのである。
ここ数週間のストレスの原因は、今の研究を続けていたいけれど自分がどこまでできるか分からないということ、なので今書いているレビューや微小論文が情熱をかけてもそれでちゃんとした形になるか見えてこないということ、である。
ストレスを軽減させるためにはどうしたら良いのかを考え、とにかく目標を細かく設定して実現可能なことを少しでも終えていこうと思っている。今の状況では、レビューと微小論文を片付けることであり、これらに集中する。これらが形になり、その段階でアカデミアに残ることができないことが確実になり転職をしたとしても、今よりは良い業績つまり爪痕を残せるわけだから少しは先へ進んだことになるのではないかと思うのである。
次の段階でグラントアプライを目標にする。その次はさらに論文を出して、さらに次は別のグラントを狙って、と言う具合。もちろん最終的にはアカデミアのポジションゲットであるが、これは、100点満点の結果であり、100点でなければ0点であるという考え方をすると辛くなってしまうので、100点ではなくても70点は取れた(業績を上乗せできた)から良いのではないか、80点は取れた(グラントを取得してさらに数年研究できた)から納得しても良いのではないか、という見方をすれば、自分の悪あがきにも意味が出てくるのではないか。
状況はあまり快適ではないかもしれない。アラフィフのおっさんポスドクが下手な英語で楽しく暮らせるほどアメリカの現実は甘くない。馬鹿にされたり無視されたり利用されたりすることは、当然ある。それでもなんとかこの地で頑張れるのは好きな研究をしてある程度の結果が出ているからである。だから、その結果すら適当にうやむやになってしまうと、自分の存在意味が否定されたような気がして、どうでも良くなってしまうだろう。
おそらく今は最後の踏ん張りどころで、良い結果になっても想定していなかった結果(悪い結果という言葉を使うのを避ける)になっても、現状に真摯に向き合って乗り越えるのかどうかは自分の人生にとって重要なのだと思う。投げ出さないためにも小さな目標を設定して自分をごまかしつつなんとか少しでも先へ進むのだ。
私のアメリカでの10年のチャレンジは、自分の能力をはるかに超えたモノに対する無謀な挑戦なのだろう。自分の能力の低さを嘆きつつも、そういう無謀なチャレンジをできる環境を与えられたことに喜びを感じるべきなのかもしれないと思う。が、人生をかけて挑戦したからには手ぶらで帰るわけにはいかず、少しでも爪痕を残したいのである。そしてこういう重苦しい思いは自分だけのものであり、他の人には共感もされないしどうでも良いことなのだろう。
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