2017年3月12日日曜日

100年人生、ーおっさんとして

だらだらと過ごし、ジムに行き少し早めに走り今に至る。時間があると色々と考え、つくづく自分は社会不適合者だと自覚する。夏、ここで独り生活が始まり、その後どういう人生を送るのか良く分からないけれど、社会との距離感を常に考えておかないとダメだな。

日本での知り合いや友人とは、こちらで10年も暮らしていると自然に疎遠になっている。顔本やメール等で交流はあるけれど、日本社会でそれなりの立場に就いて家庭もある彼ら彼女らと、アメリカでシングルファーザーをしながら底辺スレスレでポスドクを続けている自分とは、周囲の環境が大きくことなり、従って、生き方や考え方もズレてきている。こちらで親しくなった研究仲間も多くは帰国し、アメリカでのポスドク生活の延長線上での付き合いは難しい。ここで自分の居場所を見つけて、独りでも楽しく暮らしていくスタイルを確立しないとこの先ヤヴァイです、と思うのだ。そしてそういう焦りは自分以外には誰にも理解できないだろうから、自身で焦り自身に問いかけて自身で答えないといけない。まあ、アラフィフのおっさんなんて皆それぞれこういう悩みを抱えているのかもしれないけれど。

新しいペーパーバック、The Lincoln Lawyer by Michael Connellyはべらぼうに面白い。これ、日本でも人気があるシリーズものなんだけれど、やはり翻訳されるミステリは折り紙付きなのだ。逆に言うと翻訳されていな小説はツマラナイのだろうな。主人公はロス在住の弁護士で、1人称形式の小説である。どことなくスペンサーシリーズに雰囲気が似ていて、調べると作者はレイモンドチャンドラーに影響を受けて小説を書き始めたとのこと。スペンサーシリーズのパーカーもボストン大学でチャンドラーの研究で学位を取得している。つまり、パーカーもコネリーもチャンドラーの系列なのだ。

私が、チャンドラーとパーカーのファンであり、今回のコネリーの小説にハマりつつあるのは、これらはハードボイルドであり、主人公が周囲とのつながりはあるものの基本的に孤独で、現れる障害に独りで対峙していく姿に共感したり憧れたりするからだ。

彼らは自身の生き方を確立しており、そこからぶれない。そして作者はこういう主人公たちを「鋼の心をもつスーパースター」として描いていない。1人称の主人公たちはたまに弱音を吐く、が、その生き方を貫くために自らを鼓舞していくのである。つまり、くたびれたおっさんがなんとかかんとか自身のポリシーを貫くために生きている、ことを描いた小説である。

チャンドラーが「長いお別れ」を書いたのは、彼が65歳の時である。あの小説には彼の人生観が全て詰まっているのだ。若い時は、「このセリフ格好いいな!」という雰囲気重視で読んでいたけれど、色々と経験してアラフィフにもなると、小説の1行や登場人物のさりげないセリフに共感したり考えさせられたりする。65歳の老作家にとって、人生はそれほど甘くは無く苦味が多いもので、しかしながら味わい深いモノだったのかもしれない(この5年後にチャンドラーは亡くなる)。だから、まあ、色々あってうまくいかないことが多いけれど、自分にとって大事なモノを無くさないように生きていこう。

死はある日突然おとずれて、テレビのスイッチを切るように人生がパッと終わってしまうということを私は6年前に学んだ。人生は不公平であるけれど、全ての人生が不公平なのだから、結果、公平なのかもしれない。不平だらけの人よりも劣った不公平な人生と折り合いをつけて、その中に自分の生きがいや大事なモノを見つけて生きていくしかないのだ。

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