メンタルが弱い人間なので、すぐに誰かに頼ってしまい、そして失敗する。自分でケリをつける、ということができないのである。今回もそうだったかもしれない。
考え方が世間一般とズレているので、普通の人ができることが自分には苦手だったりする。が、毎日を生きていると自分も周囲の人たちと同じなのではないかと勘違いして、なので、オレも頑張ればできるのではないかと勘違いして、結局うまくいかず自己嫌悪になる。
では、周囲とズレていて何か不都合があるのかと言えば、好きなことで金を稼いで、好きな本を読めて、運動もできて、コドモをアメリカの大学まで進学させることができたので、特に問題はないように思える。
つまり、1)自分はメンタルが弱い人間である、2)自分は普通の人のようには生きられない、ということを受け入れてしまえば、納得のできる人生が送られるのではないか。
自分がどこかでファカルティのジョブをゲットできるかどうかは分からないけれど、仮にできたとして、そこでの職場でまたストレスや焦りを感じるだろう。周囲の人たちのように、月並みに家を購入してそれなりの交友関係を築いたとしても、アレヤコレヤのささいなことにイチイチ傷つくだろう。
自分の変わった性格とセンスを肯定的に考えて、それで生きていけるスタイルを考えていくべきだろう、なんてアラフィフになって気づくのは随分と遅いけれど、結婚も仕事も子育ても、経験してからでないと分からないこともあるのだから仕方ない、それでもこれまでに逃げずに筋はちゃんと通してきているし。子育てが一段落し、仕事にも変化が出てきた、今後のやり方を考える良いタイミングだろう。
つまり、社会生活不適合者なのだ。だから、人付き合いも上手くいかず、職探しも上手くいかない。ベンチで独り作業するのは似合っている。研究者と成功するには人付きあいが一番大事で、だから、私は、成功しないだろう。が、それでも研究者として生きていく道はまだ残っている。今後もベンチワークを続けられる方法について考えるべきだろう。
随分と寂しい人生のように思えるけれど、それが自分の方向なのだからしょうがない。それを認めて前に進まないと。
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