2017年6月28日水曜日

1888年

まあ、あいかわらずテンション低いのであるが。

先日のカンファレンスで知り合った研究者たちとリサーチゲート経由でポツポツとつながりつつある。フランスの研究者やイギリスの研究者。ファーストネームやニックネームで呼びあえるような関係になりつつある。夢にまでみたグローバルな仕事付き合いである。で、12月のASCBに参加できれば、彼ら彼女らと再会できて、ランチやお茶なんかすれば友人関係にまで発展するだろう。ということは数年もすればオレもこの業界で少しは居場所ができるのではないか。ああ、自分のラボが欲しい。夢の実現と現実のタイムリミット、どちらが先に来るかだ。ボスのグラントが続く限りは悪あがきするか。。。オレより年を取ったポスドクはこの世に存在しないだろうなぁ。。。好きなことができる限りはしたほうがいいのだろうけれど、なかなか。。。

ということで現実逃避を兼ねて歴史の勉強をしている。フランス革命の勉強の流れで、19世紀のヨーロッパの歴史にハマりつつある。

フランス革命、ナポレオンの時代、7月革命と2月革命、で19世紀前半のフランスを勉強する。私の分野でいうと、1822年にパスツールがフランスで生まれている。

イギリス。1818年、詩人バイロンとの出会いがきっかけとなり、メアリーシェリーが「フランケンシュタイン」をイギリスで出版。バイロンの娘、エイダは1833年にチャールズバベッジと出会う。バベッジはコンピュータの元型である階差機関を開発しようとしており、エイダはそのアイディアに感銘を受け、その結果、人類初のプログラマーとなる。1853年にシャーロックホームズ誕生。1888年に切り裂きジャックの事件。1900年に漱石がロンドンに留学しホームズと出会う。

さらに私の分野でいうと、1885年に北里柴三郎がドイツのコッホのラボへ留学している。同じ時期に森鴎外もドイツに留学しており、鴎外が「舞姫」のモデルとなる女性と出会うのもこの時期である。

つまり、1888年。パスツールとコッホは細菌学の二大巨頭としてしのぎを削っており、北里と森鴎外はドイツで生活をしており、森青年はドイツ人女性との恋愛で悩んでいる。ロンドンではホームズが切り裂きジャックと対決している。コンピュータのアイディアはもう出ていて、ナポレオンの死はまだつい最近で(我々の感覚で言えば、第二次大戦の出来事、のようなものだろう)、もしかしたらフランケンシュタイン博士が行ったような死者の再生は科学で可能になるかもしれない、と思われていたのだ。

などということを独り考えながら現実逃避をしているのである。



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