2016年10月9日日曜日

ライフはフェアーではない

今日は、子供のブカツがお休みだったので少し寝坊ができた。

寝坊ができた、といっても7時には目が覚めておりやることもなく漫然とスマホをいじるのであるが。

私は、バブル世代をかすめていて、私の親は高度経済成長ど真ん中のリーマンだった、なので、ガツガツ働いて金稼いで好きなことに使ってまた働く、ことが当たり前だと思っていて、気づくと金に困っている生活を送っている。つまりファイナンシャルリテラシーというものを教育されてきて来なかったのである。

30代になり、その手の本を書店で見かけて自分で勉強して「もしかしたらヤヴァイかも」と思ったののだけれど、そのままアメリカ生活に突入して色々と出費がかさんで、一時期は食べるものにも困るくらいであった。

何度か書いたけれど、娘を日本に返していた時期があり、その時は円高真っ最中で、彼女の生活費やら教育費を日本に送金してあれやこれやの支払いを済ませると週に20ドルくらいしか余裕がなく、それで自身の生活を回さなければならなかった。安売り系スーパーに行き、コメとフリカケを買って、冷凍の野菜を買って、終わり。弁当の主食は白米で、おかずはしょうゆ味のご飯そしてフリカケ、というつまり結局米のみの食事で、まるでドリフのコントなのであった。

今もまだ金には苦労しているけれど、某安売り系スーパーで必要なものはちゃんとすべて買えて、さらには「セレブの奥様が泣いて喜ぶ」トレジョーにも颯爽といける。子供の学費もなんとかやりくりできそう。車も「これ、壊れてんスか?」と言われないクオリティのカローラに乗れている。つまり平均の下くらいの生活は維持してアメリカ社会にぶら下がっていられるわけだ(娘には申し訳ないけれど、これが今のところ精一杯)。

こういう辛い経験を海外ですると、金のありがたみがとてもよく分かる。これを教訓にして今後は金で困らないような生活を送ろうと思っている。そしてこの経験を娘にしっかりと教え込む。まあ、こう考えると、コメとフリカケの生活も意味があったのかな。

なので、今日は午前中に銀行に行き、金のおろし方と預け方を娘に教えた。自分自身で銀行口座の管理をさせていくのである。大学に行き、学費のローンを彼女自身の名義で組み、バイトをして、クレジットカードで買い物を始めて、毎月の支払いも自分でするようになり、少しずつ金と社会の仕組みを学んでもらえればと思っている。

世の中は不公平である。金があればチャンスは広がり、金がなければチャンスを得るのは難しい。おなじだけ努力しても金があるほうが成果は数倍大きい。が、「世の中は不公平である!」と嘆いて文句をいってネットに恨みの言葉をまき散らしても何も解決しない。現状を変えたければ自分がどうにかするしかない。悲しいけれどそれが現実である。

ノーベル賞のニュースをきっかけにして、日本の研究予算が少なすぎる云々、という論調をたまに見かける。アメリカと比べると云々、というパターンだ。が、アメリカの研究費には人件費が含まれる。アメリカの生物系の大学院では学生にもサラリーを出さなければいけない。PI自身のサラリーも半分程度グラントから出さなければいけない。日本の場合、私立大学でもラボのサイズはPIプラス助教が基本ではないか。有名国立ラボだとPIプラス教員3だろう。そして学生は自分たちで金を払って来てくれる。PIは自分のグラントを用意しなくてもスタッフ数名と学生を確保できるわけだ。このサイズだとアメリカの有名研究大学の標準的な規模である。つまり、それで業績が出ないのは金のせいではないんじゃないの、と思ったりするけれど、こんなこと書くと問題になるかもしれないから、と私の知り合いが言っていました、という表現にしておこう。

人生は公平ではない。日本に生まれただけでもラッキーで、さらにはアメリカで暮らせるなんてもっとラッキー、かもしれない。自分の周囲と比べると自分が一番悲惨なように思えるけれど、グローバルに考えるとそれは贅沢な考えかもしれない。が、苦しかったり辛かったり逃げ出したくなるのは事実であり、だけれど現実は鋼鉄のような硬度で決して変わりはしない。だから、結局自分が変わるしかないのである。逆に言えば、自分が変わればすべて変わるのである。

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