今日は淡々と実験をやる一日。
途中、ピザセミナーに参加。
いつも思うことで、何度も書いているけれど、最新の研究を学べてさらにピザとコーラのランチももらえる、ってやはり贅沢だよな。原価安いっていっても食堂で食べたら7ドルくらいはするからなぁ。金があるよなぁ。
と、いいつつ、今日のセミナーは数年前のデータで、しかも内容はイマイチであった。トークが上手な研究者だったので素晴らしい研究成果のように聞こえたけれど、よくよく考えると自分たちで定義した事象をあれでもないこれでもないといじっているだけで、つまり、定義した事象が間違っていればただのマッチポンプにすぎなくなってしまう。
あと、最近特に思うのは、中国人の学生がとても多い。セミナー会場の20%以上は中国系ではないか。この学生達がアメリカに残るなり母国に帰るなりする10年後くらいからは中国系研究者の仕事が圧倒しはじめるのだろうな(もうすでにその兆しはあるけれど)。
私はナショナリズムはあまり好きではなく、なので、オリンピックもサッカー日本代表の絶対に負けられない試合がそこにある的なイベントもすんなりと楽しめない。そりゃあ、サッカー日本代表が絶対に負けられない試合で勝てば嬉しいけれど、雄たけびを上げる程ではない。試合結果を知って、勝っていれば「おっ!」と思う程度である。
昨夜はシンゴジラを見てきて、アメリカでは昨日が公開初日だったのだけれど、30分前に行ったのにも関わらず行列ができていた。アメリカの映画は上映ぎりぎりまで客はこないことが多いので(少なくともこの界隈は)、これには驚いた。さらにアジア人はほとんどおらず、白人ばかり。上映時に拍手があり、最後にまた拍手があった。上映前の予告では「君の名は」が流れ、どうやらアメリカでも上映されるらしい。
20年前、私はアメリカのアイオワ州に居て、その時はネットがまだ情報スーパーハイウェイと呼ばれている段階でまだまだ日本のニュースなんかみることができず、3日遅れの讀賣新聞国際版を図書館で読むのが日本のことを知る唯一の手段であった。
そう考えると20年後はどえらいことになっているのではないかと思うのである。VRやらドローンやらアマゾンやらグーグルやらネットフリックスやらなんやらの技術も加わり、アメリカに居ても新宿にいるのと同じ感覚で生活できちゃうんじゃないのか。世界中どこにいてもイングランドのサッカーをリアルタイムで楽しめてインドの映画情報をリアルタイムで入手できて日本のアニメをリアルタイムで楽しめて。そうなるとどの国がどうしたとかあの国がムカつくとかそういう感情は段々となくなり、楽しいものや快適なものを国境を越えて自由に手に入れることができるようになるのではないか。フト気づくと国の境目は曖昧になっているのではないか。ナショナリズムは薄れていくのではないか。なんてことを考える。
研究者は世界中どこにでも行ける。日本にいて行き詰っているのであれば思い切って外国に飛び出したほうが現状を打開できるのではないか。私自身が現状を打開できているのかと聞かれたら、「うーん、どうでしょう」と長嶋茂雄のような返答をするだろうけれど、でもベストではないけれどベターな状況な気がする。私の場合は自分の能力が低いのがうまくいかない原因で、これは多分日本に残ったままだったらもっとひどいことになっていたかもしれない。日本にいると快適だけれど、快適だからこそ身動きがとれなくなりこともあるのではないか。
と、思ったことをダラダラと書いた。
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