今日はコドモノヨウジでラボと高校とダウンダウンとアパートを行ったり来たりした。ダウンタウンのパーキングで娘を見送るとき、フト思った。そういえば後ろ姿ばかり見ているな、と。
こちらに来てすぐ、娘は小学生で、当時住んでいた家の近くにスクールバスが来ていた。バス停まで一緒に行き、バスに乗り込む娘を見送っていた。まだバックパックは大きかった。たまにお泊り会などがあり、迎えに来てくれた友達の車に乗り込む娘を見送ったりした。色々と事情があり一時的に日本に戻ることになった娘が、空港のセキュリティをくぐって、その向こう側でエスカレーターに乗り込み消えていく後ろ姿を見ていた。こちらの戻って来て高校生になり、車から降りて校舎へ消えていく後ろ姿を毎日見送った。SATのテスト会場やアートキャンプの施設やボランティア会場、彼女がちゃんと建物内に入ったかどうかを確認するまでずっと見ていた。多くの場合、娘は走っていく。学校やパーティーや飛行機やテストや、彼女には目的があるからである。そして、後ろから見ていると、その姿は段々と小さくなり、当たり前だけれど最後は消えていく。遠くに行ってしまうような気がするのである。遠くに行ってしまうのだけれど。後ろ姿ばかり覚えているのは、それなりに子育てを頑張ってしてきたからだ、と思うけれどどうだろうか。
子供の夢が実現するまで後ろ姿を見ているのが親の務めかもしれないと思う。職探しも中途半端で子育てにも自信が持てないのならば、せめて最後まで頑張って子育てをやりとげるべきだろうな。オレが研究者として成功しなくても困るのはオレだけでありオレの研究なんかはオレ以外の誰も興味はないけれど、子育ては違う。親が踏ん張らないと子供が困るのである。もちろん、研究者として成功しない自分の不甲斐なさを子育てでエクスキューズすることはできない。
自分と子供の未来を信じて進むしかないか。
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