そして中西部の朝を迎え、雪が降っているのであった。寒い。
免許の再発行のために朝9時にSOSへ出向く。この手の役所手続きはいつも緊張する。9ドルと書類の作成で済んだので一安心。
帰宅してから、ラボへ。
普段は7時半前にキャンパスに着き、パーキングのスポットを簡単に見つけられて、「オレの場所」的なところに車を停めるのだけれど、8時を過ぎると込み始め、10時を過ぎると空きが見つからない。今日も30分くらい数か所のパーキングをウロウロした。
ラボに行くと、どういうわけかボスが滅茶苦茶歓迎してくれた。子育ての関係で私はこれまでにほとんどこの手のミーティングに参加できなかったので、それを気にしてくれていたのかもしれない。
学会中のことや、プロジェクトのことや、職探しについて、30分ほどディスカッションをする。ここに書いたように、来年10月までに論文とグラントを頑張りつつ非医学部系の大学を狙い、全てダメなら企業へ転職。
ただ、もしサンフランシスコやボストンだと、娘が通う予定の大学からは飛行機で数時間の距離になり、且つ、サラリーが上がってもこれらのエリアは物価が高いので生活レベルは今とほとんど変わらないことが分かったので、生活面を考えると、この界隈を離れるデメリットが大きい。つまり、企業へ転職するならば、まずはこの界隈で仕事を見つけて、数年後に企業文化になれた段階で西か東方面へ転職(可能ならばマネージャー職へのプロモーション)という流れになるだろう。
また「あるいは、この大学内の別のラボでリサーチトラック職を見つけるのも可能かもしれない」とボスに言われる。とにかく業績を出して、なんとかスモールグラントをとれるまでリサーチトラックで頑張り、グラントが取れたらテニュアートラックへアプライする、ということだ。
その後、学会中に知り合った研究者たちについてグーグル検索。リサーチゲートでフォローしたりする。厳しいコメントをしてきて何とか頑張ってディスカッションをした某研究者が某有名大学のチェアであることを知り、「ラボに戻ったら君の論文を読んでみるから」という言葉を思い出しつつ論文のPDFとこちらの主張を裏付けるデータを添付してメール。10分後に返事がきたので驚いた。
結局、データのクオリティも研究の評価も自分の能力の可能性も限界も、全て自分の分析通りであったことが確認できた学会であった。今後の方針は変わらず、毎日データを積み重ねて、締め切りを自分で設定して12月までにレビュー春に論文6月にグラント。同時にこの界隈のバイオテックの情報を集める。英語に関しては学会中に自身の語学能力の不足を悔やんだことは無かったので、仕事レベルはクリアーできていると思える。ランチやディナーも英語で楽しむことができたし。だから、あと1つパーツが揃えばファカルティになれる、筈。
あと1つなのだ。おっさん、もう少し頑張れよ。
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