David BaldacciのMemory Manは残りあと30ページ。ペーパーバック版で510ページなので今は480ページくらいのところ。
正直、私のこの小説への評価はとても低い。ベストセラーになったのが信じられない。
基本的に主人公が犯人を追い詰めるミステリで、事件が起こり、主な登場人物が出そろう(前半の200ページくらい)までは調子が良かったのだけれど、犯人の絞り込みが行われる過程で話が(これではコントではないか)と思ってしまうくらいにあっちへこっちへ登場人物がスカスカの動機で移動するようになり、これがダラダラと400ページくらいまで。その後、急転直下で犯人が分かり、その背景が語られ始め、残り100ページを切ったところで重苦しいテーマに変わっていく。出だしはジャックリーチャーシリーズのようなアクション系の雰囲気を出しながらも、今はなんかトマスハリス(羊たちの沈黙)の小説のような重苦しさ。???である。
主人公は、元カレッジフットボールの花形選手、元警察官、元探偵、巨漢の持ち主、「彼が本気を出せば、そのカフェにあるコーヒーは全て平らげてしまうだろう」という大食漢。ある事件があり一家が惨殺され、それ以来ホームレス生活を1年弱送り、そのために太った、つまり今は肥満体なのである。で、この太った元フットボール選手というキャラが生かされる、例えば相撲レスラーとの格闘シーンがあるのかというとそうではなく、物語が進むに従い犯人との頭脳線が繰り広げられるのである。この主人公はじっと目をつぶってカフェで瞑想したりするのである。「彼女の質問を無視して彼は目を閉じ続けていた」みたいな。そうかと思うと、肥満体キャラなので「その車は彼には窮屈そうであった」とかいう(余計な)描写が随所に出てきて、なんだこいつは?と思ってしまう。なぜ肥満キャラを加えなのかならなかったのかバルダッチよ?と思ってしまう。つまり、キャラ設定と話が嚙み合っていない。
アメリカのこの手の小説にはペラッペラのキャラクターが多く出てきて、というか、コテコテの紋切り型の人物が多く出てくる。おそらく日本のラノベの作り方と同じで、例えば「主人公は、生徒会長で合気道5段、実家は富豪の女子高生」そして脇役は「主人公の幼馴染、気が弱くてパソコンオタク、実家は定食屋を経営している同級生男子」みたいなどこかのアニメで見たような情報を読者に与えることでラノベ世界にすぐに入り込めるような作用があると思われる。
アメリカのこの手のミステリで、元海兵隊、元FBI、元CIA、ベトナム帰り、湾岸戦争帰り、等の設定を主人公に与えれば、読者はすぐにトムクルーズとかシュワルツェネッガーを想像して、あとはストーリーを追うだけで良い。ああ主人公はマッチョで寡黙な野郎なんだろうな、となる。こういう場合、登場人物の複雑な心理描写なんかは期待してはいけません。ただただ格闘シーンや銃器の描写やカーチェイスを楽しめば良いのである。あるいは、潜水艦やら空母やらを出して国際謀略モノにするか。なので、あえてペラペラのキャラ設定をしたのならば、その手のストーリーが展開されるべきであり、そのキャラがストーリーにあっていないとなると、こちらとしては壮大なパロディを読まされているような気分になる。つまりファンタジィが成立していないのだ。例えば太ったシュワルツェネッガーが名探偵ホームズのキャラを演じるのは無理があるでしょう。
アメリカでの評価が気になってアマゾンを見てみると、コメントで「この本がバルダッチ本人が書いたとは思えず、彼の文体を真似たゴーストライターなのではないかと思ってしまう」というものがあり、確かに、なんとなくインチキクサイ小説なのだ。その手のネタを3つくらい他の小説から拝借して、書き方も真似て、短時間で作り上げたような。
バルダッチはいくつかのシリーズモノを出しているようだけれど、しばらくは手に取らないだろうな。
0 件のコメント:
コメントを投稿