2017年4月10日月曜日

日曜とかマキャベリとか

本日ハ天気晴朗ナレド波高シな朝であった。いそいそと起きて、10時前にラボへ。お楽しみ実験の観察である。で、それなりにエキサイトする結果であった(少なくともオレにとっては)。やることは際限なく増えていき、全てちゃんとこなすことができればそれなりの論文になるであろう。アラフィフのおっさんがそれなりの論文に挑んでいるのは、稀有、であるが、それがオレの生きる道なのだ。

その後、明日の実験の準備。

その後、タックスリターンの作業を終わらせる。毎年超メンドイ。

1時過ぎにはすべて片付いて帰宅。これからノンビリと日曜午後を楽しめる、というわけにはモチロンいかず、これから子供の大学の授業料について作業をしなければならない。貧乏な家庭に生まれた彼女はローンを組まざるを得ず、そして親である私もローンを組まざるを得ず、その手続きである。ローンは今後10年間支払いが続くのであった。

そして、「わが友マキアヴェッリ」は超面白い。本書は三部構成になっており、新潮文庫版は、それに応じて全三巻。一部で、マキャヴェリの幼少期のフィレンツェについて語られる。マキャヴェリがどういう幼少期と青年期を過ごしてかを描写することによって彼の人格形成について論じるのである。第二部は、マキャヴェリがフィレンツェの官僚に採用され、退廃期を迎えつつあるフィレンツェの立て直しに奔走する時代。そして第三部は、ある事件がおこり、職を奪われ田舎で隠遁生活を送る羽目になった彼が「君主論」をはじめとする論文を執筆する時代が描かれる。

マキャヴェリは名家の生まれでもなく、有名大学を出たわけでもない。本書の言い方に従えば「ノンキャリ」の官僚である。その彼が自身の実力で政府中枢部に食い込み仕事をし、その能力ゆえに疎まれ始めて職を奪われる。そして自分の不幸を呪いながら思想家として執筆活動を行う。つまり彼は今の言葉で言えば、「負け組」である。能力があり努力もして結果を出したにもかかわらず、運と経歴が足りなかったばかりに栄光をつかめずに死ぬのである。が、その人生を通じての思考と経験はその後「君主論」という著述になり、彼の名は現代まで残るのである。

仕事をする、というのはどういうことだろうか。人生をかけてどういう仕事を自分はしたいのか。負けるとはどういうことか。マキャヴェリの人生を学ぶと、そういう問いかけに応じるヒントが得られるような気がするのである。

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