2017年7月1日土曜日

どよう

子供がいなくなり独りの時間が増え、今のようにあまり良くない状況下だと、悶々と考えるじかんばかりが増える。昨夜はかなりやばかった。自分のダメさ加減ばかり頭に浮かびなかなか寝られず。なかなか寝られなくても誰も何も困ることはなく、また寝ても寝なくても何も状況は変わらないので、ではいったい自分は何をしているのだろうかと思い、漫然とユーチューブを見続ける。

冷静に考えると今のアプリケーションで出し続けても可能性はゼロで、グラントが加わらないとダメだろう。グラントが取れたとして、それは来年の夏位だろうから、そうなると今年の公募は無理だ。来年度の公募に挑戦するとしたら、当然今よりも論文を上乗せしていないと業績に穴があくことになる。つまり、アカデミアに残りたいならば、当たり前のことだけれど、来年までに論文1報とグラント1報が必要。で、まあ、こうやって考えると案外可能ではないかと思うけれど、それを実現させるのは色々なファクターがあり、難しだろうな。そもそも、ボスのグラントが取れなければ、来年度はナシなのだ。つまりギリギリアウトの状況である。

ということは上記の挑戦はしつつも、気になる企業職に出し始めるのが得策だろう。企業にポジションを得たときに、アカデミアから離れることを後悔するかもしれないけれど、新しい世界には新しい冒険がまっていることを前向きに考えるしかない。とにかく贅沢を言える立場ではないし。

あるいは日本で職を見つけるのも選択肢だろう。これもまた可能性はゼロに近いけれど、研究が続けられる環境であれば、挑戦するべきだ。アメリカから離れることを後悔するかもしれないけれど、自分の実力が足りなかったのだから仕方ない。これもまた、贅沢を言える立場ではない。

自分の人生をあきらめない、というのはなかなかキツイことではないか。それはつまり、絶えず自分の欠点に向かい合うからである。オレの場合、他の人より能力が低く、社会性も低く、経済力も低く、運も少なく、そういう中でなんとなごまかしながらやりくりしてきて、それが限界に来たのだろうな。つまり、自分の総合力が現実を超えられなかったのである。そしてこういう瞬間は、オレの人生の中で何度かあった。その度に自分を鍛えて、次の挑戦をして、そこでまた現実を思い知り、というパターンである。考えるべきことは、そういう人生に意味があるかどうかである。

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