在米研究者あるある、だと思うけれど、アジア人だということでナメラレルことがたまにあります。「おいおい、どう見ても問題あるのはあいつの方でしょう、なんで彼の肩をここで持つわけ?オレばかり時間がとられるんだけれど。」というパターン。あるいは、研究者なんかは非社交的(特にアジア系、特に日本と韓国)なヤツが多いので、これは研究者あるあるかもしれないけれど。
というような、あるある経験を今日は久しぶりにした。「えっ?オレは何もしていなけれど、なんとなくオレが責められているパターン、これ?あ、お前が我慢してやれば丸く収まるんだよ、とさりげなく言われているってこと?ああー、なるほどね」という経験。
私は、普通の研究者よりも輪をかけて非社交的で繊細なので(つまりINFJということ)、こういう経験をするとしばらく鬱々と考えて凹む。(なんで彼はオレをちゃんと評価してくれないのだろうか、なんでいきなり態度を変えたのだろうか、オレは嫌われているのか、どうしたら良いのだろうか)とウジウジとふさぎ込むのである。数年前までは。
で、こういう時間を何度も過ごしてほぼアラフィフになると、少しは慣れるというかふてぶてしくなるというかどうでも良くなるというか、つまり(あっ、期待していたオレが馬鹿だったな)と最近は思うようになって来た。(結局彼はオレのことなんて評価していなかったということか、今までの態度も表面的な付き合いに過ぎなかったわけだ、つまり嫌われているというかオレのことなんて考えていないのだろうな、オレの存在は眼中にないと思っておいたほうが気が楽だ)と思うようになってきたのである。
誰かに期待していると、裏切られたり無視されたりすると、とても傷つく。というか、誰かに期待するというのは、自分の評価を他人に委ねているわけでつまり自分一人では何もできないから周囲に相手にされなくなると困るわけである。最初から期待しなければ、嫌な態度を取られても逆に変に持ち上げられても、自分がぶれることはない。
職場は、友達を作る場所ではなくて金を稼ぐ場所である。だから、職場の人間関係とプライベートを混同して、心のどこかにクサクサしたものを溜めてしまうのは良くない。職場の関係は金を稼ぐための1つのファクターであると割り切ったほうが、健全なワークライフバランスを維持できると思う。
日本だと、やれ忘年会だ新年会だ上司の引っ越しだプロジェクト後の打ち上げで駅前に7時集合ね!2次会行く人?じゃあカラオケに全員参加ということで、みたいなノリで「仲間意識」が強いのではないか(とくに古い体質の組織だと)。研究者は多くの場合ラボやグループに属するので、ノリが合わないメンバーだをこういう付き合いはキツイでしょ。
アメリカはそういうことが無い、などということはなく、おそらく西や東の海岸沿いは個人が確立しているの単独行動は非難されないけれど、中西部は田舎なので、「みんなでパーティ参加!」みたな雰囲気は、ある。まあ、「あ、私行きませんから」と言っても文句は言われないけれど、やはりバツは悪い。
で、こういう苦手な時間を乗り切るためには、(ノリが合う同僚とか頼れる先輩とかを期待するからウンザリしてりまうのだ、これも仕事の一環だと思い臨もう、お金を稼ぐためだ)と割り切った考えは大事なのではないか。どうでしょう?
私は冷たい人間なので、仕事とプライベートはきっちり分けたほうが快適な日々を過ごせると思う。だから、職場で色々なことを期待しないようにしている。職場での笑顔やジョークは全て自分のやりたい仕事をしてその結果の金を稼ぐためのもの程度で十分なのではないだろうか。
というようなことを書いて、自分を納得させているわけですが。
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